さて、右思考の私でさえ、安倍元総理を国葬に…となった時には「そうしてやりたいが、理由付けはどうするの?」と思ったわけです。しかし最長任期や国外からの要請などなど総合的勘案でそうなりましたって言うのはまぁ宜しいのではないか。私は賛成でした。しかし納得できないと野党は大騒ぎです。まぁいつもの彼らですから反対はしますわね、と。これに限らずですが、ある目的の団体・会社・組織であって決めた事に内部の個人が反対するのは自由ですが、外部に広めて賛同者を募り、反対活動をするまでは政治家としてギリ良くても、国葬を潰すとまで言って当日にデモ街宣をするって実力行使の妨害活動にまでなるのは一体どうしたものか。オカシイでしょうと。会社で働いた経験があれば誰でも一度はあるはずです。自分のミス、自分の決定ではなかった事でも謝罪するという場面が。対外的に見て会社は会社という一つの意思です。そこで働くスタッフの個性を発揮するなんていうのはそれ以前の話であって、対外的に謝罪したり提案したりという仕事は、会社を背負って行う事になりますね。「私個人的には反対したんですよ、それでもやっちゃった…」みたいな謝罪をされてお客様の立場で納得しますか?って話です。政治家というものは日本国という一個の社会において代表なんですから、国葬の議論であれば喧々諤々やればいいとしても、やると決めたら従うのが社会性の最低限と思うんですが。もっとも、支持率だって大変低い(国民の負託)という意味でも。
今の若者(だけに留まりませんが)で目に付く(ようになってしまったお年頃?)のですが、真剣に注意していても「すみませんでした」「以後気をつけます」が言えない人。言えないだけではない、「なるほど」とか言っちゃう人。「なるほど」の中には「私の責任では無い、私は知らないし改善するつもりもないが、まぁ落としどころをみつけてあゆみよりましょうか」的な意味合いが鼻に付くわけです。若ければまだ矯正のしようがあるのかも知れませんが、コレ50代とかも居ますからね。ハッキリ言って「知りませんでした」と言われた方がまだ良くて「なるほど」っていうのはもう救いようが無い状況かも知れないなと。社会活動に限定してですよ。こういう人は団体行動や社会生活に向いていないと思うのです。向いていないばかりか周囲に悪影響すら出てしまう。こういった人は一人でできる個人活動をすべきだと思いますね。それでも稼ぐ方法はいくらでも見つかる世の中だと思うわけです。
私だって集団生活に最適なキャラクターではございません。しかし常に一人では苦痛で寂しいと感じる。このへんのバランスで社会は成り立っていると思うんですが。
つまり野党の声デカイ政治家さんは政治家向きじゃないですよってことで。
異論反論はございましょうが、それを私に振りかざしても、それで社会が変わるわけではございませんので一切無駄な労力です。SNSなんかでも書き込んだ人たち同士で誹謗中傷・罵詈雑言が繰り広げられますが、顔も知らない、知人ですら無い人たちに自分の思いを押しつけたところで世間は変わらないわけです。では私はどうしてここでこんなことを書いているの?
ネタがないから。店長でした〜
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