さて、本日は終戦記念日です。間違いではないのですが「敗戦」だと思うんですけれどまぁそこは…。もうポツダム宣言の玉音放送から77年が経ちます。今年こそ、日本の防衛について真剣に考えるべき時と思います。以下は私の個人的感想です。
ウクライナは建国時に核の保持をしませんでした。しかし現在はロシアからの侵略に遭ってます。北朝鮮という小国でさえ核を持った途端に介入しづらい国になりました。核は使用してはならない究極の兵器です。これは間違いない。どこかの国が一発でも放てば報復の核が発射されて人類終了。だからロシアの理不尽な侵略でさえ他国が止められない。日本は威力こそ現在の核より低いとは言え世界唯一核を使用された国です。「だから核を放棄する」…?被害者だから放棄するんですか?ここがすでにおかしいと思うのです。核廃絶を訴えるのは理解できますが、その脇で結局アメリカの核によって守られているだけで、核を所持している事と何ら変わらないし、そんな中途半端なら核を持つべきと思います。被害者であればなお失敗を繰り返さないために武装するのは当然です。泥棒に遭ったらセキュリティを高めるのは当然です。憲法9条こそ日本を平和にしているなどとおかしな論法を持ち出す人が居ます。そんなワケの分からない理屈、ちゃんと納得できる人なんて居ないでしょう。少なくとも私はこの理屈に納得した事が無い。
さて、もし仮に核を持つと決定したとき日本国内にミサイル発射基地を作れるでしょうか?おそらく無理です。原発は必要でも近所に建設してほしくないのと同じ理由で。そもそも核はもう地上に発射基地を置くことがリスクですから、原子力潜水艦も必要ということになります。原子力潜水艦は核ミサイルを発射するためにあるといって差し支えない。このセットはマストでしょう。交戦権も回復しなければならず…ああ、日本にこれが出来るまで一体あと何年かかるのでしょうか。理想ばかり言うと遠すぎる未来だなぁと思うのです。
当店では戦没者を祀る護國神社へのお花を納品しております。靖国神社の支店みたいなものです。すでに77年が経ち、戦没遺族も少なくなりました。戦没者の御霊に感謝を申し上げるのは当然としても直接語り継ぐ人が居なくなりこの先、靖国神社や護國神社の存在意義はどうなっていくのでしょうか。平和と反戦のためにもある宗教施設ですが、立場ある人が行けば戦争賛美などと言われるのもオカシイですが。ただのイチャモンですから気にせず参拝してほしいものですし、政治家や閣僚の参拝は当たり前と思うのです。国の運営をしているわけですからね。
これらに反対する理屈の通らないイデオロギー精算のために「戦後レジュームの脱却」があったはずなんですが。
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