さて、そんな中、不謹慎ながら笑わせて頂いたニュースが。『「女の敵は女」物議のマイメログッズが発売中止に』というもの。どうやらアニメのキャラクター「マイメロディのママ」がそのキャラクターらしい名言をまとめたグッズが男女平等主義活動家の怒りを買ってしまい発売を中止したというもの。「女の敵はいつだって女なのよ」という名言に対して、いわゆるフェミニストのお叱りであります。この活動家は女性が中心。ですからマイメロママの名言通り、女の敵は女という構図を体現してしまっている。ワラエル!似たような事例で、過去にはアメリカが米国人向けに制作した、海外旅行の際の国別性格のようなもので「韓国人は怒りやすい」という欄に国を挙げて猛反発した韓国というのを思い出しました。自己紹介ですか?と(笑)そんな活動しないほうが良かったのでは?と。
セクシャル・マイノリティをどのように捉えるか?と社会を巻き込んで大問題になっております。森元オリンピック大会実行委員長の「女性の会議は長い」も同様です。男女かどうか以前の大前提として「マイノリティ」は少数派という意味です。いつも少数派は虐げられてきたというのが議論の根底にあるようですが、では具体的にどれほど虐げられたのか。またそこに対してクレームや抗議をするのではなく、ではどうやったら良くなるのか?どういうものが理想なのか?といった提案までして初めて社会的にも認められてくるものではないでしょうか。代案もなく抗議するだけではドコゾの野党と変わりません。さらに、ミクロで一つ一つの事案を見て行くと「それは捉え方と個人の定規の問題」であって、個人の定規を社会全体に置き換える事が果たして正当なのか?という事です。だれもが「確かにその通りだ」と膝を打つのであれば良し、そうでないなら少数派であり、現在の最大多数の最大幸福とは相反します。活動家の皆さんは大声で反論をする事よりも、自分たちの思う社会の正当性を訴えて仲間を増やしていく事に努めるべきと考えます。私個人としてはマイメロママの名言がオカシイとは思わないのですが。
男女の性差とは生物学的にも証明されております。ですから逆に義務教育のうちに女性・男性の一般的特性を授業として教えておくべきだと考えます。当然一部例外もある事は伝えつつですが、まずは男女差を肉体的なものではなく能力的な差としてです。これを踏まえて社会としてどうすべきかという投げかけがあって然るべきでしょう。であればセクシャル・マイノリティの性差平等を掲げる活動家の皆さんはまず男女の差を周知徹底させる一見真逆の活動をすべきであり、「そこを踏まえて」の啓蒙活動になるべきだと考えます。
いくら男女平等と言っても出産できるのは女性だけです。妊娠・産後期間に社会的活動が出来なくなるのは当然で、そのことで虐げられているというのは個々の問題であり職場環境の問題で社会全体の問題ではありません。だいいち田嶋陽子さんに代表されるフェミニストで声の大きい方々こそ「男のくせに」「これだから男は…」と個人を攻撃するうちに何故か分母が男全体になっている気がしますが…。
異論反論は聞きますが論争するつもりはございません。私は個として花屋店主なもので。
![]() クリックをよろしくお願いします。 | ![]() |