さて、大偉業に水を差すつもりはないんですが、最初に大坂選手を知った時に思った感覚を率直に申し上げて「日本人なの?」と思ったわけです。肌の色や言葉や生活拠点などから思ったのです。当時も大坂選手を日本人として認めるとか認めないとかどうこうというわけではなく、チョットでも日本とかすっていさえすれば「日本人の偉業」だなんて身を乗り出して行くスタイルは日本人らしくないナァというか…日本で暮らす生活実態がないのに日本人と言いきっていいのか?とか。確かに本人は「日本人として」という想いも持って頂いているようですから、日本人としては「ありがとう」であっても「日本人としての優秀性」みたいな論調をするのは如何なモノか?と。ならば本当に身も心も日本人なら「日本人としての優秀性」として喜んで良いのか?と言えばこれも疑問が出てきます。悩ましいものです。
外国人労働者の雇用に関して…と話題になっておりましたが、雇用する側の視点でいくとむしろ日本人よりも優秀で日本語ペラペラどころか英語・母国語・他の国の言葉まで何カ国語もマスターしているような外国人が当たり前に日本人と同等の給料で働いてくれるというのですから驚きです。ヘタすると母国で働いていても経済状況的には日本のほうが厳しいといえる方々も日本での就職を希望してきます。「日本が好き」「安全な先進国」「御飯が美味しい」というイメージなんだそうで。一生を日本で暮らしたいと考える外国人も多く帰化希望者も後を絶たない現状、もはや日本人という垣根は精神論で考えるなら日本人じゃないのかね?と。仮に一例ですが、ナマリもきつい、独自の地域文化が多すぎて外部からの支店・営業所を持つには厳しいが経済的には美味しいというような場所に営業攻勢を仕掛けようと考えれば、まず考えるのは地元出身者の雇用です。身内にしてしまえばいい。そして愛社精神があれば最高です。外国人だったとしても同じです。この先外国人観光客や就労者が増えていくことが確定しているなら、その国の言葉くらいはできる人が身内にいれば強い。
人種差別という言葉には肌の色や国だけではなく地域や宗教などの差別も含むようです。私は人種差別はしたくないと考えていますが、冒頭の「彼女は日本人なのかね?と思う私」はやはり差別なんでしょうか?区別なんでしょうか?こんな事にアタマ悩ますのもどうかと思うのですが、思えば少なくとも私は外国人という人たちに囲まれて日本で生活した経験がありません。接し方というか、どこからが差別になってしまうのか、そういった事を知りたいと思うのです。
でも韓国人とは相容れません。
↑これは差別ではなく区別です。
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